HOT STUFF 4
それからしばらく経って。
知盛は夕べから家を空けていた。今日と明日は撮影の開始時刻が早いので、社有の都心のマンションに泊まることになったと連絡が来ていた。ここのところ、こんな日が増えている。
(知盛、ちゃんとごはん食べてるかな……)
モデルって、食べ物に気をつけたりエクササイズやトレーニングをしたり、早寝早起きの規則正しい生活をしているものだろうと思っていたが、こと知盛に関する限りそれはあてはまらないようだ。家にいる時は相変わらずぼーっとして行きつけの道場に顔を出すくらいで、あとはごろごろ寝ている。目の前に食事を出せば食べるが、ただし好きなものだけ、ほっておくとまずは酒、それとつまみぐらいしか口に入れない。
もっとも最初から姿勢は驚くほどいいし、戦さで鍛えた身体は本物で、それを維持するために特段の努力は必要ないのかもしれないけれど。
……気がつくと、知盛のことばかり考えている。
(たった2日間なんだし、知盛がいなければ、怒ったりどきどきさせられなくて済むんだし)
ほっとするものを感じながらも、やっぱり早く帰ってきてほしいと望美は願ってしまう。ここのところ以前にくらべて知盛の顔を見られる時間も減っていた。
(でも、今日は会えるもん)
今日は、彼が職業モデルとして初めて撮った写真が載るという雑誌の発売日だった。もっとも主役は服や小物。彼はそれを魅力的に見せるための、いわば媒体だ。それに駆け出しの新人なのだ、小さくても彼とわかるショットがあれば滑り出しとしては順調といったところだろう。発売前に知盛が掲載誌を送ってくるような性格ではないのはもちろんである。
望美は胸を高鳴らせながら休み時間に学校近くの書店に走った。本当はいけないのだが、下校時までがまんできなかったのだ。だが平積みされていたお目当ての雑誌をぱらぱらめくり、彼女は絶句した。
(うっそぉ……)
雑誌の中ほどのサブ特集のページに突然現れた知盛の顔。彼のバストショットが紙面の半分を占めていた。
薄く色の入ったサングラスを長い指ではずしつつ、かすかに細めた紫の目でこちらを見据える知盛。奥にひそやかな愉悦を秘めながらも、その視線はどこまでもクール。笑み未満の角度にわずかに上げられた口元も、彼の不敵なまでの態度を象徴しているようだ。
サブの特集記事につけられた題名は―――『挑発する瞳』。アイウェアを中心にしたファッションのトータルコーディネイトだ。
はねる心臓を落ちつかせながら、いそいで他のページもめくってみる。確かに最初のページは知盛だが、メインは彼ではない。数人のモデルがそれぞれのスタイルで競演しているうちのひとりに過ぎない。
だが……外国人のモデルも複数載っているというのに、知盛はまったく見劣りしていない。それどころか、彼の持つ独特の艶は、他の誰とも違うオーラを放っていて知らず見入ってしまう。
その気になれば何でもこなせてしまう人間なのだとあらためて感心しつつ、知盛に目を奪われてしまうのは単なる贔屓目なのだろうかと望美は考え込んだ。知盛に関して自分が客観的になれるとはとうてい思えなかった。
(でも……やっぱり素敵だよね)
初めて見る知盛のスーツ姿にも胸がときめく。だが、トップの知盛の不遜な表情はどこかで見た気がすると望美は頭をひねった。
……何だろう、すごく落ち着かない。だが、それを深く考えている時間は今の望美にはなかった。
「ああっ、行かなきゃ!」
気がつけば、もう休み時間の終わる時刻だ。望美は本を抱えてあわててレジに走った。
昼休みにそそくさとお昼を食べ終えると、望美は将臣と譲を呼び出して屋上で当の雑誌を見せた。
「お、いかしてるじゃねーの。こりゃ本当に本物の知盛か? このサングラスいいな。俺も欲しいぜ」
言いながら、将臣は雑誌をまじまじと見やった。
「この顔、何だか楽しそうで、危なっかしくて……でもそれが全部あからさまに出てるわけじゃなくて、うまくぼかしてる感じだな。もともとあいつ、本音はなかなか見せねえし。そんなところもよく映してる気がする。まあ、俺は向こうでのあいつのこと知ってるから、よけいそう思うのかもしれないけど」
「知盛さん、ちゃんと働いてるんですねえ……」
譲がしみじみ言った。
「よくあの知盛さんが仕事する気になったもんですよね。俺の目から見ても確かによく撮れてると思います。先輩はどう思います?」
「えーと」
見とれてしまったなんて正直に言うのはちょっと恥ずかしい。
「それはね、すてきだと思うよ。これがいつもごろごろしてたあの知盛かって思うと胸がいっぱい。平家武将の華麗なる転身、なんちゃってね」
望美は笑ったが、将臣も譲も笑わなかった。
「ああ、確かにな。だけど……おまえ、いいのか?」
「え?」
将臣がめずらしく言いよどんだ。
「……ここんとこ知盛、仕事もけっこう入ってきてるみたいで泊まりも多くなっただろ」
「さびしくないですか、先輩」
知盛がいないならその間に望美に接近して……などとは考えない純粋な有川譲、16才である。望美は肩をすくめた。
「気にしてないよ。知盛がこうしてがんばってるのを見るのはうれしいもの。明日は帰ってくるしね」
そう答えながらも、望美の胸に今までにはなかった不安がちらりと湧き上がる。知盛がこちらに来て以来、ずっと一緒に過ごしてきた。だが、彼はこうして望美の知らない時間を持ち始めた。もしかして少しずつ、知盛は望美と関係のない場所で生きていくようになるのだろうか?
ふいに望美は、自分の落ち着かなさの原因に気がついた。
あのグラビアの知盛は、以前、彼女と刃を交えた時の……あのいかにも楽しそうな、期待と渇望をこめた表情によく似ていたのだ。あれは彼女だけが知っているはずの知盛の顔だった。それなのに……。
硬くなった表情の望美の頭をふいに将臣がぽんぽんと叩いた。
「わりぃわりぃ。ま、気にすんな。あいつが望美から離れられるわけないだろ。何せおまえのために時空を超えてきた男だぜ?」
「気になんてしてないよ。でも知盛が有名人になっちゃったらどうしよう? 今のうちにサインもらっておいた方がいいかもね」
とってつけたように笑ったのは逆効果だったようだ。将臣と譲が心配そうな視線を投げてきたが、望美は気づかないふりをした。
「さてっと……これ、クラスの子にも見せてみようかな。もちろん知盛と知り合いだなんて言わないでね。客観的な評価に興味あるし」
雑誌を将臣の手から回収し、じゃあね、と手を振って階段に向かう。ふたりの視線を背中に感じながら、望美は振り返ろうとはしなかった。
翌日の夕方。
「お帰り! 仕事うまくいった?」
「ああ……」
帰ってきた知盛が大儀そうに返事をよこす。アイボリーホワイトのリブニットのV字型の襟からきれいな鎖骨が見えている。バレル型の帆布のバッグをそのあたりに放り投げると、ソファにどさりと腰を落とした。
「だるい……な」
髪をかきあげるしぐさも声も、いかにも疲れている感じだ。
「お疲れさま。何か飲み物持ってこようか?」
だが知盛は、行こうとした望美を引き留めると自分の隣に座らせた。
「ここにいろ」
それ以上何も言わせず、知盛はジーンズに包まれた長い足をソファの肘の上に投げ出して横になると、頭をぽすんと望美の膝に乗せた。さわやかな香りがかすかにただよう。知盛のつけているトワレ……だろうか。
「疲れた。少し休ませろ」
「知盛」
望美がお仕事大変だったんだねとねぎらおうとしたら、知盛はすでに寝息をたてていた。
「ええっ、寝ちゃったの……?」
信じられない面持ちで望美は知盛の顔を見やった。本当に寝ちゃってる……。望美はふうと吐息をついた。
規則正しい寝息につれて、知盛の胸がゆっくりと上下している。寝顔を見るのは久しぶりだった。ここのところ、ぐうたらしている彼を見る機会も減ったから。
(大丈夫かなあ……)
以前は昼間からごろごろしてばかりいるのはよくないと思ってあれこれ言ったこともあるが、勤勉という言葉には縁のない人が働き続けていると、かえって心配になる。それにしても整った顔だとあらためて思った。
鋭い瞳が長いまつげで閉ざされると、それだけで受ける印象はずいぶん変わる。いつも彼がまとっている剣呑な雰囲気も消えるせいだろうか、きりりとした眉、シャープな顔の輪郭にもかかわらず、無防備に彼女に頭を預ける知盛には純粋な少年の雰囲気すらあった。
先ほど感じた香り、よくかいでみるとさわやかな中にもほのかな甘さとスパイシーさが混じった洒落た香りだ。すれ違う人から香ってきたら、思わず振り返ってしまいそうな……。知盛が香りのするものをつけていることなどめずらしいが、ぴったりだと思った。
眠りを邪魔しないように、さらさらした髪に、そっと触れてみた。少し長くなった銀髪。いつもきっとヘアメイクさんが整えてくれているのだろう。知盛がそういう世界の仕事に就いているなんて、不思議な気がした。
それに何より、源氏の神子だった私が、平氏の将だったあなたを膝の上に抱いているなんて、ね?
戦いに日々を送っていたのはそう昔のことではないのに、あれからもう何年も経ったようにも感じられる。こうして知盛の体温を間近におだやかに感じることができる、それだけで幸せだった。
知盛がそばにいてくれないのはさびしい。でもこうして帰ってきてくれるなら……。それに彼が興味を持てることができたなら、それも大事かなって思うし。素敵な知盛を見ると、胸がどきどきするのも本当だ。
彼が自分の知らない顔を持つようになって、いろいろと聞きたいことも気になることもある。でも今は何よりゆっくり休ませてあげよう……。
(知盛、がんばってね。でも仕事が終わったら、きっと私のところに帰ってきてね)
知盛が目を覚ましたら、うんとおいしいコーヒーを淹れてあげよう。望美はふんわりとした微笑みを浮かべて恋人の髪をやさしく撫でた。心の底に沈む自分の不安もなだめようとするかのように…。